この年表は「三国志ハンドブック」を参考に作成しています。

三国志年表A-1

西暦 後漢 主要事項
135年 陽嘉4年 宦官が養子をとることが認められる。外戚の梁氏が台頭
146年 本初元年 梁冀が質帝を暗殺。桓帝を擁立して専権を振るう
159年 延熹2年 単超以下、5人の宦官の協力を得て、桓帝が梁氏を誅滅。単超らが封侯されて政治を私物化
166年 延熹9年 第1次党錮事件。李膺ら「清流派」2百余人、下獄。陳蕃、免職される
167年 永康元年 党人、赦免されるも、終身官界追放処分を受ける。桓帝、没する
168年 建寧元年 霊帝、即位する。竇武・陳蕃、曹節ら宦官の誅滅を謀り、逆クーデターにあい殺される
169年 建寧2年 第2次党錮事件。李膺ら百余人が殺され、5、6百人が追放される
172年 熹平元年 孫堅、会稽の賊許昌を討つ
174年 熹平3年 曹操、孝廉に推挙され、郎となる
175年 熹平4年 蔡よう、太学問外に3体石経を立てる。劉備、盧植に師事
178年 光和元年 雌鶏が突然雄鶏にかわるなど、怪異現象があいつぐ。蔡よう、「亡国の凶兆」と密奏し、流刑にあう。売官はじまる。公1千万銭、卿5百万銭
181年 光和4年 霊帝、後宮に市場をつくって遊ぶなど、逸楽にふけり、また私財を貯えることに熱中する。諸葛亮生まれる
182年 光和5年 孫権、生まれる
184年 中平元年 黄巾の乱おこる。何進、大将軍を拝命する。党人に大赦令がくだる。皇甫嵩・朱儁ら黄巾を討伐する。曹操・孫堅・劉備、討伐に参加、功を立てる。涼州に辺章・韓遂の乱おこる
185年 中平2年 黒山軍おこる
187年 中平4年 長沙の区星、乱をおこす。孫堅、長沙太守を拝命し、区星らを討伐する。劉備、公孫(王賛)のもとに身を寄せる
188年 中平5年 白波軍おこり、洛陽をおびやかす。黄巾軍、青州・徐州にふたたび蜂起する。霊帝、刺史を州牧に改め、「西園の8校尉」を編成し、曹操・袁紹ら、校尉となる
189年 光熹元年
昭寧元年
永漢元年
少帝=光熹元年・昭寧元年。献帝=永漢元年。霊帝没し、少帝、即位する。外戚何進、袁紹・袁術らとともに、宦官誅殺を謀る。張譲ら、何進を誅殺する。袁紹・袁術ら、宦官2千余人を誅殺する。董卓、上洛して朝政を握り、少帝を廃して献帝を立てる。袁紹・袁術・曹操、あいつぎ洛陽から関東に脱出する
190年 初平元年 劉表、刺史として荊州に赴任する。関東の豪雄、袁紹を盟主にいっせいに反董卓の兵を挙げる。董卓、長安遷都を強行、洛陽を焼き払う。曹操、董卓軍と榮陽で戦って敗退する
191年 初平2年 孫堅、董卓軍を破り、洛陽に1番乗りを果たす。袁紹、韓馥より冀州牧の地位を奪う。曹操、黒山軍を濮陽に破り、東郡太守に。荀ケ、袁紹より曹操に投ずる。公孫【王賛】、袁紹を攻め、劉備を平原郡執政官に任ずる
192年 初平3年 袁紹、公孫【王賛】を界橋に破る。王允・呂布、董卓を殺す。曹操、えき州牧に迎えられ、青州の黄巾31余万を降し、精鋭を収めて「青州兵」と号する。李かく・郭、王允を殺し、長安を占拠。呂布、長安を脱出して関東に。孫堅、劉表の将黄祖と戦って陣没、孫策、後を継ぐ
193年 初平4年 袁術、寿春に入り、淮南を支配する。曹嵩が殺され、曹操、徐州牧の陶謙を討つ。公孫【王賛】、劉虞を処刑する
194年 興平元年 曹操、呂布・陳宮にえき州を奪われる。陶謙、病没して、劉備、徐州牧を継ぐ。劉焉、没し、劉璋、後を継ぐ。孫策、劉ようを破り、江東に進出する。このころ張魯、漢中に「5斗米道」の国を立てる
195年 興平2年 曹操、呂布を定陶に破り、えき州を奪回する。呂布、徐州の劉備のもとに身を寄せる。献帝、長安を脱出し、各地を転々とする。孫策、江東に進出する
196年 建安元年 劉備が袁術と戦う間に、呂布、徐州を奪う。劉備、曹操のもとに身を寄せる。曹操、洛陽に帰還した献帝を許に迎え、大将軍になる。また、屯田をおこす
197年 建安2年 曹操、張繍と戦って敗れる。袁術、寿春(9江)で帝号を僭称する。曹操、これを破る。孫策、江東に独立する
198年 建安3年 曹操、徐州を攻略、呂布・陳宮を殺す。劉備、献帝に拝謁
199年 建安4年 袁紹、公孫【王賛】を易京に破り、河北を制圧する。袁術、寿春で病没する。劉備、曹操の手を逃れ、ふたたび徐州に拠る
200年 建安5年 曹操、董承らを処刑し、劉備を徐州に破り、関羽を捕らえる。劉備、袁紹のもとに身を寄せる。関羽、白馬に袁紹の将顔良を斬り、劉備の元に帰る。曹操、袁紹軍1万を官渡に迎え撃ち(官渡の戦い)、これを殲滅して華北統1の展望を開く。孫策、暗殺され、孫権、後を継ぐ
201年 建安6年 曹操、劉備を汝南に破る。劉備、劉表を頼って荊州に入る
202年 建安7年 袁紹、病を発し、失意のうちに没する
204年 建安9年 曹操、【業β】を攻略し、冀州牧となる
205年 建安10年 曹操、袁氏を平定して河北を制圧する
207年 建安12年 曹操、烏桓を征討する。劉備、「3顧の礼」をもって諸葛亮を訪う。諸葛亮、「天下3分の計」を披瀝する
208年 建安13年 諸葛亮、劉備の軍師となる。劉表が没し、子の劉【王宗】が継ぐ。曹操、丞相となる。南征軍をおこし、荊州を討つ。【王宗】、戦わずして荊州を明け渡す。劉備、当陽の長阪で惨敗を喫し、夏口に敗走する。孫権・劉備の同盟がなり、赤壁で曹操軍を大破する(赤壁の戦い)。劉備、4郡をとり天下3分の大勢が定まる
209年 建安14年 周瑜、曹仁の軍を大破し、南郡太守となる。劉備、荊州牧として公安に拠る。【广龍】統、諸葛亮と並んで劉備の軍師となる。劉備、孫権の妹を娶る
210年 建安15年 周瑜、病没して魯粛が継ぐ。曹操、銅雀台を築く
211年 建安16年 曹操、潼関に馬超・韓遂を討ち、関中を平定する。劉備、蜀に迎えられる
212年 建安17年 孫権、建業の経営に着手する。曹操、孫権討伐の軍を起こし、濡須へ兵を進める。荀ケ、寿春にて没する。劉備、劉璋に矛先を向ける
213年 建安18年 曹操、魏公となり、9錫を受ける
214年 建安19年 劉備、成都に進撃する。【广龍】統、陣没する。馬超、劉備に降伏する。劉備、劉璋を降して益州牧となる。曹操、献帝の伏皇后を殺す。劉備と孫権、荊州をめぐり対決する
215年 建安20年 曹操の娘、皇后となる。曹操、張魯を討ち、漢中を平定する。諸葛亮・瑾兄弟の会談により、劉備と孫権、荊州を2分して治めることになる。孫権、濡須で曹操に敗れる(逍遥津の戦い)
216年 建安21年 曹操、魏王となる
217年 建安22年 曹丕、魏王太子に立てられる。劉備、漢中に軍を進める。魯粛、病死し、呂蒙が後を継ぐ
218年 建安23年 耿紀・韋晃ら、曹操誅殺に失敗、処刑される
219年 建安24年 劉備、定軍山で夏侯淵を斬り、曹操を撃退して、漢中王となる。関羽、曹操・孫権の挟撃を受け、孫権に捕らわれて斬られる。曹操、孫権を荊州牧とする。呂蒙、病没する