参考文献:『史記』小辞典
史記年表
紀元前 | 事項 |
2550 | 黄帝、センギョク、帝コク、尭、舜と呼ばれる五帝が支配した伝説の時代(〜前2140年) |
2144 | 禹、治水に成功し、天子の位につく。夏、始まる |
1711 | 湯、諸侯を率いて桀王を殺し位につく。殷、始まる。 |
1091 | 紂王、妲己を寵愛する |
1090 | 伯夷・叔斉、周にいたる |
1068 | 西伯、ゆう里に幽閉される |
1067 | 比干殺され、箕子捕らわれ、微子、殷を去る |
1066 | 周の武王、殷を討つ。紂王自殺。周の始まり。 |
1065 | (〜1007年)魯、燕、衛、晋、曹、蔡、呉、陳、宋、斉、楚の諸侯、成立 |
841 | 『史記』十二諸侯年表、この年より始まる |
779 | 幽王、褒[女似]を娶り政事乱れる |
771 | 幽王、犬戎に殺される。諸侯、平王を擁立 |
770 | 平王、[各隹]邑(洛陽)に遷都、東周始まる(〜前256年)。秦、諸侯に列せられる。このころより、諸侯間及び諸侯諸侯国内の抗争しだいに激化 |
722 | 魯国編年史『春秋』の記載始まる。春秋時代始まる(〜前481年)。鄭の荘公、共叔段の乱を平定 |
719 | 衛の州吁、桓公を弑す。衛人州吁を濮に殺す |
717 | 鄭の荘公、陳を破る |
714 | 鄭、大いに北戎を破る |
712 | 鄭の荘公、許に入り、宋を破る |
707 | 周の桓王、鄭を討ち大敗。楚の熊通王号を冒し武王と称す(前704年説あり) |
697 | 重耳生まれる |
694 | 斉の襄公、魯の桓公を殺す |
686 | 公孫無知、斉の襄公を弑す。管仲、公子糾とともに魯に奔る |
685 | 斉の雍廩、無知を殺し公子小白(桓公)を立てる。管仲を宰相に迎える |
681 | 魯の曹沫、斉の桓公を威して失地を回復する |
679 | 斉の桓公、斉・宋・陳・衛・鄭の諸侯とケンで会盟し、覇者を称す |
667 | 斉の桓公、周王より伯(覇者)を賜る |
666 | 晋の驪姫、その子奚斉を立てんとし、公子申生・重耳・夷吾を逐う |
660 | 魯の慶父、[泯+日]を弑す。季友、釐公を擁立して慶父を殺す。これより魯の三桓氏興る |
655 | 晋の献公、太子申生を殺す。公子重耳(後の文公)狄へ逃げる |
651 | 斉の桓公、諸侯を葵丘に会し桓公の覇業成る |
645 | 晋の繆公、夷吾を帰国させる(晋の恵公)。斉の宰相管仲没 |
643 | 斉の桓公没 |
639 | 宋の襄公、覇者たらんとして諸侯を会するも楚に捕らわれのち許される |
638 | 宋の襄公、楚と泓水に戦って敗れ(宋襄の仁)、翌年死す |
636 | 晋の公子重耳、亡命19年目ののち即位(文公) |
632 | 晋の文公、楚を城濮に破り(春秋五大戦の一)、周王を迎え、践土に会盟して覇者となる |
628 | 晋の文公没 |
627 | 晋の襄公、秦を[肴β]に破る(春秋五大戦の二) |
624 | 秦の穆公、西戎に覇をとなえる |
621 | 秦の穆公没 |
618 | 楚、鄭・陳を討ち、和解す |
617 | 楚、宋を討たんとし和議なる |
615 | 晋、秦を河曲に破る |
608 | 晋、陳・宋を救って鄭を討つ |
607 | 晋の趙盾、霊公を弑す |
606 | 楚の荘王、陸渾の戎を討ち、周の大夫王孫満に「鼎の軽重」を問う |
599 | 陳の大夫夏徴舒、霊公を弑す |
598 | 楚の荘王、陳を討って夏徴舒を殺し、夏姫を楚に連れ戻す |
597 | 楚の荘王、[必β]に破り覇者となる(春秋五大戦の三) |
591 | 楚の荘王没 |
589 | 晋、魯・衛・曹を率いて、斉を鞍に破る(春秋五大戦の四) |
588 | 晋、六軍を作る |
579 | 宋の華元の斡旋で晋・楚の和平なる(第一次和平) |
575 | 晋、楚・鄭を[焉β]陵に破る(春秋五大戦の五) |
551 | 孔子、魯に生まれる(公羊伝・穀梁伝では前552年) |
546 | 宋の向戎の提唱で晋・楚・秦以下13国間に和平なる(第二次和平)。以後、40年間、休戦 |
537 | 魯の宰相子産、中国最初の成文法「刑書」を鼎に鋳る |
522 | 楚の平王、伍奢とその子伍尚を殺す。伍尚の弟伍員(伍子胥)呉に奔る |
517 | 魯の昭公、三桓氏に攻められ、斉に亡命。孔子、斉に往く |
515 | 呉の公子光、王僚を弑して立つ(闔廬) |
511 | 呉、伍子胥の計を用いて楚を侵す |
506 | 呉、柏挙に楚を破り、呉軍、楚都郢に入る。斉の晏嬰没 |
505 | 越、呉を侵す。楚の申包胥、晋軍の救援を得て楚を救い、呉、敗退す。魯、季桓氏の家臣陽虎の専制始まる。この頃陽虎、孔子を招聘 |
500 | 魯、斉と夾国に会盟し、孔子随行す |
498 | 孔子、魯を去る(14年後、帰国) |
496 | 呉王闔廬、越王句践と戦い敗死 |
494 | 呉王夫差、句践を会稽に破る(会稽の恥) |
489 | 孔子の弟子顔回死す |
484 | 呉王夫差、斉を艾陵に破る。伍子胥、夫差より死を賜り自殺。孔子、諸国遊歴の末に帰国 |
482 | 呉王夫差、黄池で覇権を争う間に、越王句践が呉に侵寇。呉、大敗す |
481 | 魯、麒麟を捕獲。孔子「春秋」を整理。春秋終わる |
480 | 衛の太子、出公を追放し、即位(荘公)。孔子の弟子子路、敗死す |
479 | 孔子死す |
478 | 越王句践、呉を笠沢に破る。楚、陳を滅ぼす |
473 | 越王句践、呉を滅ぼし覇者となる |
465 | 越王句践没 |
468 | 墨子(墨テキ)生まれる |
453 | 韓・魏・趙の三氏、智伯を滅ぼし、地を三分する。これより三晋おこる |
447 | 楚の恵王、蔡を滅ぼす |
446 | 魏の文侯、即位。これより魏、盛んとなる |
403 | 周の威烈王、韓・魏・趙を諸侯に列す。戦国時代始まる |
397 | 聶政、韓の宰相侠累を刺殺 |
390 | このころ、墨子、魯の陽文君に説く |
387 | 魏の文侯没し、将軍呉起、楚に奔って相となる |
386 | 斉の田和、諸侯に列せられ、田斉始まる |
384 | 秦、殉死を禁止 |
381 | 楚の悼王没し、呉起、楚の貴族に殺される |
376 | 三晋、晋君静公を廃し、地を分割。晋滅ぶ。墨子没 |
375 | 韓、鄭を滅ぼし、新鄭に遷都 |
372 | 孟子(孟軻)生まれる |
367 | 趙・韓、周を攻略、これより西周・東周に分裂 |
369 | 荘子(荘周)生まれる |
359 | 秦の孝公、商鞅左庶長に任じ、変法を行う(『史記』六国年表では前356年) |
357 | このころ斉の稷下の学おこる |
351 | 申不害、韓の宰相となる |
350 | 秦、咸陽に遷都、郡県制を布き、農地改革を断行し、度量衡を定める |
341 | 斉の将軍田忌・田嬰、孫[月賓]の計により魏軍を馬陵破る。魏の将軍[广龍]涓自殺、公子申、虜となる |
340 | 秦の商鞅、魏軍を破り、商に封じられる。屈原生まれる |
338 | 秦の孝公没し、商鞅、車裂きの刑に処される |
334 | 魏の恵王、恵施の策を用いて斉の威王と徐州に会し、ともに王を称す。楚、越を滅ぼす |
333 | このころ蘇秦の合従策成り、蘇秦六国の宰相となる |
332 | このころ蘇秦、趙を去り、合従崩れる |
328 | 張儀、秦の相となる |
325 | 秦の恵文君、王を称す |
323 | 韓・燕、それぞれ王を称す |
322 | 張儀、秦の相を免じられ、魏の宰相となる |
318 | 魏・趙・韓・楚・燕の五カ国、合従して秦を討ち敗北 |
316 | 秦、蜀を滅ぼす |
313 | 張儀、楚の相となる。荀子(荀況)生まれる |
312 | 楚の懐王、秦を討って大敗し、漢中を取られる。斬首八万 |
309 | 秦、初めて丞相職を設け、樗里子・甘茂を右丞相、左丞相に命ず。張儀没 |
307 | 趙の武霊王、「胡服騎射」を実施 |
299 | 秦、楚の懐王を捕う。秦の昭王、斉の孟嘗君を相とす |
298 | 孟嘗君、秦より斉に逃げ帰り、相となる。趙の恵文王、公孫勝を平原君に封じる |
296 | 斉・韓・魏の三国、秦の函谷関に攻め入り、秦、和を求む。趙、中山を滅ぼす |
295 | 趙の公子成・李兌、主父(武霊王)を包囲し、主父餓死す |
293 | 秦将白起、韓・魏の連合軍を伊闕に破り、斬首二十四万 |
289 | このころ孟子没 |
288 | 秦の昭王西帝と称し、斉の[泯+日]王東帝と称するも、2ヶ月後王号に戻す |
286 | 斉、宋を滅ぼす |
284 | 燕・秦・趙・韓・魏の五国、斉を討つ。燕将楽毅、斉都臨シに攻めいる。稷下の学者離散 |
280 | 秦将白起、趙を討ち、斬首三万。荘子没 |
279 | 秦の昭王、趙の恵文王とメン池に会す。燕の昭王没し、楽毅、趙に奔る。斉の田単、失地七十数城を一挙に回復。孟嘗君没。このころ稷下の学再興し、荀子、祭酒となる |
278 | 秦将白起、楚を討ち楚都[呈β]を抜く。楚、陳に遷都。屈原没 |
277 | 白起、武安君に封じられる |
276 | 魏の公子無忌、信陵君に封じられる |
270 | 趙の将軍、趙奢、秦軍を閼与に迎えて大破す |
266 | 秦の昭王、相国魏冉を罷免し、范雎を丞相として応侯に封じる |
262 | 楚の考烈王即位し、黄歇を春申君に封じる |
261 | 趙・秦の両軍、長平に戦う |
260 | 趙の孝成王、廉頗を罷免し、趙括を起用。秦将白起、趙軍を長平に大破し降卒四十万余を穴埋めにす |
259 | 秦王政(後の始皇帝)生まれる |
257 | 秦の昭王、白起を殺す。秦、趙の都邯鄲を包囲。魏の信陵君・楚の春申君、趙を救う |
256 | 秦、西周を滅ぼす。周の赧王没して事実上、周滅ぶ。劉邦生まれる |
255 | 秦の昭王、范雎を罷免す |
254 | 魏の安釐王、国を秦に委ねる |
249 | 秦の昭王、呂不韋を相国とする。楚、魯を滅ぼす。秦、東周を滅ぼし、周、完全に滅ぶ |
247 | 秦、魏を討つ。魏の信陵君、五カ国の軍を率いてこれを破る |
246 | 秦王政(始皇帝)即位。呂不韋、幼君政にかわって執権 |
243 | 信陵君没 |
241 | 趙・楚・魏・燕・韓の五カ国、合従して秦を攻め、函谷関に敗れる |
238 | 秦の長信侯ロウアイ、反乱を企てて失敗。楚の李園、春申君を殺す |
237 | 呂不韋、相国を免じられ、李斯、用いられる |
235 | 呂不韋自殺 |
233 | 韓、韓非を使者として秦に派遣。韓非、獄中で毒をあおぐ |
232 | 項羽生まれる |
230 | 秦、韓を滅ぼす。荀子没 |
228 | 秦、趙を滅ぼす。趙の公子嘉、代に逃れ、自ら立って代王となる |
227 | 燕の太子丹、荊軻をして秦王を刺殺せんとして失敗。秦、燕を討つ |
225 | 秦、魏を滅ぼす |
224 | 秦、二十万をもって楚を攻め、楚の将軍項燕を殺す |
223 | 秦、六十万をもって楚を攻め、楚、滅ぶ |
222 | 秦、燕を滅ぼす。秦、代を滅ぼし、趙、完全に滅ぶ |
221 | 秦、斉を滅ぼし秦の天下統一成る。秦王政、始皇帝と称す。李斯を丞相とし、郡県制を実施。10月を歳首とする。 |
220 | 始皇帝、第1回巡幸 |
219 | 始皇帝、第2回巡幸。泰山に封禅の儀式を行う |
218 | 始皇帝、第3回巡幸。張良、博浪沙で始皇帝を襲撃、失敗に終わる |
215 | 始皇帝、第4回巡幸。方士盧生をして仙薬・仙人を求めしむ。将軍蒙恬、匈奴を伐つ |
214 | 万里の長城の建設始まる |
213 | 禁書令出る(医薬・卜筮・農業関係の書は除外。所謂「焚書」) |
212 | 安房宮及び驪山の陵墓の造営始まる。儒生四百六十余人を穴埋めにする(所謂「坑儒」) |
210 | 始皇帝、第5回巡幸中、沙丘で死去。末子胡亥(二世皇帝)即位。始皇帝を驪山に葬る。長子扶蘇、蒙恬没 |
209 | 陳勝・呉広、大沢郷に挙兵。劉邦、沛に挙兵。項梁・項羽、呉に挙兵。田[憺の左がイ]、斉に挙兵 |
208 | 陳勝・呉広、敗死。項梁、定陶に敗死 |
207 | 項羽、鉅鹿に秦軍を破り、諸侯を掌握。李斯、趙高の讒言により刑死。趙高、二世皇帝を弑殺、子嬰を立てる。子嬰、趙高を殺す。 |
206 | 秦王子嬰、劉邦に降り、秦帝国ここに滅ぶ。劉邦、法三章を約す。項羽・劉邦、鴻門に会す。項羽、咸陽に入り、子嬰を弑し宮殿を焼く。項羽、懐王を立てて義帝とし、劉邦以下一八人を諸侯王に封じる。項羽の論功行賞に不満の諸侯、反旗を挙げる。漢の高祖元年 |
205 | 劉邦、韓信の計を入れ、漢中から出て三秦を平定。楚・漢の戦い始まる。項羽、義帝を弑す。劉邦、諸侯の軍五十六万を率いて楚都彭城を攻め大敗す |
204 | 韓信、趙を破る。項羽、[塋の下が土で無く水]陽・成皋を抜く。劉邦関内に逃れる |
203 | 韓信、斉を破る。項羽と劉邦、広武で対戦。項羽と劉邦、天下を鴻溝で二分し、東を楚、西を漢とする |
202 | 劉邦、協約を破って項羽を攻め、垓下に包囲。項羽、烏江で自刎す。漢の天下統一、劉邦皇帝の位につく(高祖)。 |
201 | 高祖、楚王韓信を淮陰侯に降格。叔孫通、漢の朝儀を制定 |
200 | 高祖、自ら韓王信を伐ち、平城で匈奴の軍に七日間包囲される |
196 | 淮陰侯韓信、誅殺される。梁王彭越、反逆のかどで誅殺される |
195 | 黥布、敗死。高祖劉邦没。恵帝立つ |
194 | 呂后、趙王如意とその母戚夫人を殺す |
193 | 蕭何没 |
191 | 秦の「挟書律」を撤廃 |
190 | 曹参没 |
189 | 張良、樊[口會]没 |
188 | 恵帝没。呂后の専横始まる |
187 | 呂氏一族、王に封じられる |
180 | 呂后没。丞相陳平、大尉周勃ら呂氏一族を討ち、文帝を立てる |
179 | 司馬相如生まれる |
178 | 陳平没 |
174 | 淮南王長、謀反し蜀に遷されて死亡 |
157 | 文帝没。景帝立つ |
155 | 晁錯、御史大夫に昇る。中央集権策として諸侯の領地削減を進言 |
154 | 呉・楚七国の乱おこり、周亜夫、これを平定。晁錯、刑死 |
145 | 司馬遷、生まれる |
141 | 景帝没。武帝立つ |
140 | 建元元年、年号制始まる。武帝、賢良方正・直言極諌の士を挙げ、董仲舒を得る。霍去病生まれる |
138 | このころ張騫を大月氏に派遣する |
136 | 五経博士を置く(儒学の国教化) |
134 | 董仲舒の進言により、郡国から孝廉の士一人を選挙 |
133 | 武帝、方士を遣わし神仙を求む。韓安国を護軍将軍とし、匈奴を誘殺せんとして失敗 |
130 | 張湯ら、律令を定め「見知の法」を作る。武帝、陳皇后を廃す |
129 | 匈奴、上谷に入寇、将軍衛青・李広らこれを討つ |
128 | 李広、右北平太守となる |
126 | 張騫、西域より帰る |
124 | 公孫弘、丞相となる。博士に弟子五十人を置く。汲黯、右内史となる |
122 | 張騫を再び西域に派遣(一説に前119年)。淮南王安・衛山王賜、謀反を企てて誅殺される |
121 | 公孫弘没。将軍霍去病、匈奴を討ち、[示β]連山にいたる。匈奴渾邪王、投降す |
117 | 司馬相如、霍去病没 |
115 | 桑弘羊、大農丞となる。均輸の官を置き、物価を統制。郡国の鋳銭を禁止。張騫、帰国し、西域と初めて通じる |
110 | 武帝、北巡し、泰山で封禅を行う。桑弘羊、平準法を施行し、物価の安定をはかる |
108 | 建章宮を造営。太初暦を作成し、正月を歳首とする |
106 | 衛青没 |
101 | 蘇武、匈奴に使者となり捕らえられる |
99 | 李広利、匈奴を討つ。別働隊の将李陵、破れて捕虜となる。司馬遷、李陵を弁護したため宮刑の処せられる |
96 | 司馬遷、大赦により出獄し中書令となる |
92 | 巫蠱の事件おこる。このころ『史記』完成 |
91 | 巫蠱の事件により、戻太子の反乱事件おこる。衛皇后及び戻太子自殺。司馬遷の友人任安、連座して死刑の判決を受ける |
90 | 李広利、匈奴に降る |
87 | 武帝没。昭帝立つ |
86 | 司馬遷死す(異説あり) |